2008年02月29日
悪夢の4日間
食道ガン告知から18日から21日
25日は家内と国立がんセンター東病院に行ってきた。
T先生に書いて頂いた紹介状を持ってO先生に診察してもらうためだ。
O先生は『放射線化学療法は頭打ち。
抗がん剤+手術の方が生存率が高い。
あなたは若いし体力もありそうだから抗がん剤+手術の方が良い。』と言われた。
O先生に見捨てられた思いがしたが、T先生に手術してもらうのはイヤだ。
放射線化学療法でお願いしたいと懇願した。
O先生はそこまで言うのならと引き受けてくれたが、放射線科のN先生の説明も聞いて判断するようにと指示を出した。
エントランスに戻ると友人Mrs.KAが心配して来てくれていた。
3人で放射線科に向かう。
放射線科のN先生には家内と2人でお話を伺った。
やはりO先生と同じ意見で『少し時間を置いて冷静に判断して下さい。返事は27日までに電話でしてくれれば良いですよ。』との事だった。
決断までの時間は約48時間。
長く苦しい48時間が始まる事になる。
25日の夜から様子がおかしくなり、自分の心(気持ち&感情)がコントロール出来なくなってくる。
死への恐怖である。
放射線化学療法の名医である2人のコンビが抗がん剤+手術を薦める。
やはり抗がん剤+手術で行くべきか?
しかし、手術となれば執刀するのはT先生という事になる。
イマイチ信頼できないT先生に命を預けるというのはどうなんだ
手術となれば死を覚悟した決断でなければダメなのではないか?
もう、頭の中がパニック状態である。
急に泪が止まらなくなり泣き叫びたくなったり、どうでも良いやっと投げやりになって悩んでいる自分が滑稽に見えて可笑しくてしようがなくなったり・・・・・。
完全に壊れている。
夜遅かったが、大阪で看護士をしている友人Ms.KTに電話をして、辛い胸の内を聞いてもらった。
彼女は『腕の良い職人さんだと思っていればいい。』と言うが、そう簡単に割り切れるものではない。
26日
ほとんど眠れずに朝を迎えた。
相変らず心のコントロールは出来ないまま。
何とか自分を取り戻したくて、何人かの友人に電話をしたが、かえって心配をかけてしまったようだ。
午後になって瞑想しながら、家内や家族、そして仲間達に心から感謝をし、T先生に手術をしてもらう方向で考えがまとまった。
しかし、合併症や手術死など不安を取り除く事などできない。
少しでも不安を取り除く事が出来ればと中央病院の相談支援センターに電話をしたが『直接T先生に相談するほうが良いでしょう』と予約センターに・・・。
幸いすぐに明日の予約を取る事が出来た。
その晩、ボクを心配してMrs.KAとMrs.EIが家にやって来た。
それも、片道1時間近くもかけて。
本当にありがたい。(感謝
)
4人でT先生に聞きたいと思う内容を考え、まとめた。
27日
今日も寝不足である。
体がだるく、頭が重い。(まるで病人のようだ
)
今日はT先生に不安に思っている事などを聞いて、少しでも良い状態で手術に望む事ができればと思っている。
が、T先生に会うと思うと、かなりプレッシャーがある。
家内もかなりプレッシャーになっているようだ。
でも、T先生に質問する内容は箇条書きにしてあるし、友人のMr.RMも同行してくれている。
何とかなるであろう。
待合室でボクと家内は何回トイレに行っただろうか?
3時間ほど待たされて名前が呼ばれた。
3人で診察室に入ると、イスは2つ。
ボクと家内はイスに座り、Mr.RMは立ったままである。
イスを1つ用意してくれるわけでもなく、ベッドに座らせてくれるわけでもなく、『どうしましたか?』の第一声。
ボク:『先日、東病院のO先生とN先生のお話を伺ってきまして・・・。お2人に、まだ若いのだから抗がん剤+手術の方が良いといわれました。ただ、手術は怖いし不安なので先生のお話を伺いたいと思って。』で遮られ、この後先生は終始貧乏ゆすりをしながら話をしてくれました。
T先生:『辞めれば良いじゃないですか。その為に放射線化学療法の説明をしたのですから・・・・・。』
とイヤミをいわれましたが、何とか質問をすることが出来ました。
その間、先生はイスにそっくり返って話をしたり、舌打ちや『フン!』と鼻で笑ったような仕草をしてボクや家内の質問に答えて下さいました。
ボクたちにとっては重大な問題でも、先生にとってはくだらない質問だったのでしょう。
ボクも家内もあまりの態度に戦意喪失をし立とうとした時に、Mr.RMが『手術方針をもう一度詳しく聞かせて欲しい。』と食い下がり、抗がん剤+手術の大まかなスケジュールなどを聞いて退室した。
さあ、いよいよ決断の時。
あと2時間位で東病院に YESかNO を伝えなければいけない。
T先生の人間性や相性はボクにとってはX 。
腕は良いらしい。
手術死の全国平均は10%とあったが、中央病院は2%位らしい。
放射線化学療法の5年生存率は25~30%、抗がん剤+手術は35~45%。
病院側が何と言うかわからないが、とりあえずボクの気持ちは決まった。
信頼できない人に命を任せるのはイヤだが、相性は良いが腕が悪い人よりは、相性は悪いが腕の良い人のほうが良いと思い込み、明日T先生に手術をお願いする為の予約を入れ、東病院にはキャンセルの電話を入れた。
28日
今朝も体がだるい。
病院とは病人を作る所なのだろうか?
ガンさえなければ、至って健康で元気なボクが、すっかり病人の様になってしまっている。
今日は手術をお願いする為に中央病院に来ている。
もう、心は決まった。
緊張も昨日ほどはない。
大きく深呼吸をして診察室に入った。
『先生、今日は手術をお願いしに来ました。』
大きなため息をついて『そうですか。では、内科のK先生の診察を受けて下さい
』
完治したら絶対にぶっ飛ばす
と心に誓って退室した。
ご心配をお掛けしてしまっている皆様、これで治療方針が決まりました。
ただ、食道ガンの手術は、胸部、腹部、頸部の3ヵ所を開く為、リスクも高く手術時間も6~10時間と長時間にわたる大手術になります。
したがって、手術死や合併症の確立も高く、なかなか決心がつかず、悩み、苦しみましたが、みなさんの想いに支えられて、やっとここまでくる事が出来ました。
後は、自分自身の体力、生命力を信じ、執刀医を始めとする治療スタッフを信じて
死神と闘うだけです。
治療スケジュールは、病室が空けば来週にでも抗がん剤治療がスタートするようです。
1週目、5日間の抗がん剤連続投与。
2週目、インターバル
3週目、インターバル
4週目、5日間の抗がん剤連続投与。
5週目、インターバル
6週目、インターバル
7週目以降体調を見て手術というスケジュールになるようです。
皆さんの友情に心から感謝致します。
食道ガンに負けてたまるか!!
海天狗の食道ガン闘病記
25日は家内と国立がんセンター東病院に行ってきた。
T先生に書いて頂いた紹介状を持ってO先生に診察してもらうためだ。
O先生は『放射線化学療法は頭打ち。
抗がん剤+手術の方が生存率が高い。
あなたは若いし体力もありそうだから抗がん剤+手術の方が良い。』と言われた。
O先生に見捨てられた思いがしたが、T先生に手術してもらうのはイヤだ。
放射線化学療法でお願いしたいと懇願した。
O先生はそこまで言うのならと引き受けてくれたが、放射線科のN先生の説明も聞いて判断するようにと指示を出した。
エントランスに戻ると友人Mrs.KAが心配して来てくれていた。
3人で放射線科に向かう。
放射線科のN先生には家内と2人でお話を伺った。
やはりO先生と同じ意見で『少し時間を置いて冷静に判断して下さい。返事は27日までに電話でしてくれれば良いですよ。』との事だった。
決断までの時間は約48時間。
長く苦しい48時間が始まる事になる。
25日の夜から様子がおかしくなり、自分の心(気持ち&感情)がコントロール出来なくなってくる。
死への恐怖である。
放射線化学療法の名医である2人のコンビが抗がん剤+手術を薦める。
やはり抗がん剤+手術で行くべきか?
しかし、手術となれば執刀するのはT先生という事になる。
イマイチ信頼できないT先生に命を預けるというのはどうなんだ

手術となれば死を覚悟した決断でなければダメなのではないか?
もう、頭の中がパニック状態である。
急に泪が止まらなくなり泣き叫びたくなったり、どうでも良いやっと投げやりになって悩んでいる自分が滑稽に見えて可笑しくてしようがなくなったり・・・・・。
完全に壊れている。
夜遅かったが、大阪で看護士をしている友人Ms.KTに電話をして、辛い胸の内を聞いてもらった。
彼女は『腕の良い職人さんだと思っていればいい。』と言うが、そう簡単に割り切れるものではない。
26日
ほとんど眠れずに朝を迎えた。
相変らず心のコントロールは出来ないまま。
何とか自分を取り戻したくて、何人かの友人に電話をしたが、かえって心配をかけてしまったようだ。
午後になって瞑想しながら、家内や家族、そして仲間達に心から感謝をし、T先生に手術をしてもらう方向で考えがまとまった。
しかし、合併症や手術死など不安を取り除く事などできない。
少しでも不安を取り除く事が出来ればと中央病院の相談支援センターに電話をしたが『直接T先生に相談するほうが良いでしょう』と予約センターに・・・。
幸いすぐに明日の予約を取る事が出来た。
その晩、ボクを心配してMrs.KAとMrs.EIが家にやって来た。
それも、片道1時間近くもかけて。
本当にありがたい。(感謝

4人でT先生に聞きたいと思う内容を考え、まとめた。
27日
今日も寝不足である。
体がだるく、頭が重い。(まるで病人のようだ

今日はT先生に不安に思っている事などを聞いて、少しでも良い状態で手術に望む事ができればと思っている。
が、T先生に会うと思うと、かなりプレッシャーがある。
家内もかなりプレッシャーになっているようだ。
でも、T先生に質問する内容は箇条書きにしてあるし、友人のMr.RMも同行してくれている。
何とかなるであろう。
待合室でボクと家内は何回トイレに行っただろうか?
3時間ほど待たされて名前が呼ばれた。
3人で診察室に入ると、イスは2つ。
ボクと家内はイスに座り、Mr.RMは立ったままである。
イスを1つ用意してくれるわけでもなく、ベッドに座らせてくれるわけでもなく、『どうしましたか?』の第一声。
ボク:『先日、東病院のO先生とN先生のお話を伺ってきまして・・・。お2人に、まだ若いのだから抗がん剤+手術の方が良いといわれました。ただ、手術は怖いし不安なので先生のお話を伺いたいと思って。』で遮られ、この後先生は終始貧乏ゆすりをしながら話をしてくれました。
T先生:『辞めれば良いじゃないですか。その為に放射線化学療法の説明をしたのですから・・・・・。』
とイヤミをいわれましたが、何とか質問をすることが出来ました。
その間、先生はイスにそっくり返って話をしたり、舌打ちや『フン!』と鼻で笑ったような仕草をしてボクや家内の質問に答えて下さいました。
ボクたちにとっては重大な問題でも、先生にとってはくだらない質問だったのでしょう。
ボクも家内もあまりの態度に戦意喪失をし立とうとした時に、Mr.RMが『手術方針をもう一度詳しく聞かせて欲しい。』と食い下がり、抗がん剤+手術の大まかなスケジュールなどを聞いて退室した。
さあ、いよいよ決断の時。
あと2時間位で東病院に YESかNO を伝えなければいけない。
T先生の人間性や相性はボクにとってはX 。
腕は良いらしい。
手術死の全国平均は10%とあったが、中央病院は2%位らしい。
放射線化学療法の5年生存率は25~30%、抗がん剤+手術は35~45%。
病院側が何と言うかわからないが、とりあえずボクの気持ちは決まった。
信頼できない人に命を任せるのはイヤだが、相性は良いが腕が悪い人よりは、相性は悪いが腕の良い人のほうが良いと思い込み、明日T先生に手術をお願いする為の予約を入れ、東病院にはキャンセルの電話を入れた。
28日
今朝も体がだるい。
病院とは病人を作る所なのだろうか?
ガンさえなければ、至って健康で元気なボクが、すっかり病人の様になってしまっている。
今日は手術をお願いする為に中央病院に来ている。
もう、心は決まった。
緊張も昨日ほどはない。
大きく深呼吸をして診察室に入った。
『先生、今日は手術をお願いしに来ました。』
大きなため息をついて『そうですか。では、内科のK先生の診察を受けて下さい

完治したら絶対にぶっ飛ばす

ご心配をお掛けしてしまっている皆様、これで治療方針が決まりました。
ただ、食道ガンの手術は、胸部、腹部、頸部の3ヵ所を開く為、リスクも高く手術時間も6~10時間と長時間にわたる大手術になります。
したがって、手術死や合併症の確立も高く、なかなか決心がつかず、悩み、苦しみましたが、みなさんの想いに支えられて、やっとここまでくる事が出来ました。
後は、自分自身の体力、生命力を信じ、執刀医を始めとする治療スタッフを信じて

治療スケジュールは、病室が空けば来週にでも抗がん剤治療がスタートするようです。
1週目、5日間の抗がん剤連続投与。
2週目、インターバル
3週目、インターバル
4週目、5日間の抗がん剤連続投与。
5週目、インターバル
6週目、インターバル
7週目以降体調を見て手術というスケジュールになるようです。
皆さんの友情に心から感謝致します。
食道ガンに負けてたまるか!!
海天狗の食道ガン闘病記
Posted by ウミテング at 21:28│Comments(0)
│闘病記
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